Updated: 2010/02/25

連載(9)「船長」は海のオールラウンダー/菊地透さん(小樽在住)

By 北海道日刊スポーツ新聞社

連載(9)「船長」は海のオールラウンダー/菊地透さん(小樽在住)


 海をこよなく愛する男は、小樽の石原裕次郎記念館の前にオフィスを構えていた。菊地透さん(51)は300艇が停泊する小樽港マリーナを眼前にしながら「海の普及委員会の広報委員みたいな感じです」と自己紹介した。肩書、戦績は数知れずほど持つが、肩ひじは張らない。ただ「海が好き」なのだ。

 中学を卒業後、小樽海員学校に入り2年間、実地で鍛えられた。卒業の日、1枚の合格通知が届いた。日本郵船からだった。貨物船に乗り、願いをかなえた。4年間、インド洋や地中海で航海したが、徐々に違和感を覚えた。「速度が速すぎて、自然との対話ができない」。陸上勤務中に横浜でヨットに出会った。理想の乗り物だった。五輪出場を目指すほど熱中した。

 会社を辞め、ヨット会社に就職した。午前8時から午後8時まで仕事し、30`の道を自転車で自宅に戻り同10時に就寝。遠征費を稼ぐため午前2時から同7時まで定置網の漁船に載り、30分の仮眠という生活を続けた。「アスリートは基礎体力が落ちると思考能力も落ちる。ヨットは1〜2時間の勝負。体力があったことは幸いだった」と振り返る。
 84年ロサンゼルス五輪の選考会は通過した。ただ当時は企業スポーツ全盛時で、自費で戦う菊地さんには限界があった。スポンサー回りなどもしたが、3000万円の遠征費が用意できなかった。「正直、悔しかった」。五輪はあきらめたが、ヨットマンとしての挑戦は終わらなかった。

 92年の日本チャレンジは裏方として、95年のアメリカズカップはコーチ兼クルーとして出場した。クルー7人で挑戦した98年太平洋横断では14日17時間22分という最速記録を樹立。横浜―サンフランシスコ間のこの記録は現在も破られていない。07年にはスコットランドで行われた世界選手権のクラシックボートの部で優勝。現在も競技者は続けるが、後進を育てようという思いが強くなっている。
 子どもたちに「海で遊んでもらいたい」と小樽の沿岸に650坪、75bの海岸線のある土地を購入した。海岸で遊ぶことや、自然の楽しさを伝えたいという思いの表れだ。「夢を与えるのが僕の仕事だと思っています。『有機質』な子どもたちを育てたい」。海に魅せられた少年は、何年経ってもその気持ちを失うことはない。【上野耕太郎】

 ◆菊地透(きくち・とおる)1958年(昭33)915日、美唄市生まれ。74年に小樽海員学校(現小樽海上技術学校)を卒業し、日本郵船に入社。78年にパフォーマンスセイルクラフトジャパンに入社し、五輪出場を目指す。80年レーザー全日本選手権3位。91年に小樽に戻りカラットマリンシステムを主宰する。01年に「クラブメッド号」のクルーとして世界一周新記録艇を樹立。親交のある歌手の矢沢永吉氏からは「船長」と呼ばれている。独身。

 菊地さんの北海道特選
 ▽場所 小樽は好きですよ。知床の文吉湾も素晴らしい。でもね、私は海から自分の住んでいるところを見るのが好きです。少し沖に出ると、小樽の港から札幌のJRタワーとか見えるんです。
 ▽食べ物 サケのトバが最高。海外の船員たちも私のトバを「ドライサーモン」と言って食べていました。トバのうまさは世界共通のようです。

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