Updated: 2010/03/04

連載(10)高橋名人は永久に不滅です/ハドソン高橋利幸さん

By 北海道日刊スポーツ新聞社

連載(10)高橋名人は永久に不滅です/ハドソン高橋利幸さん


 日本のサラリーマンで「名人」の肩書を持つのはこの人だけだろう。「高橋名人」こと高橋利幸さん(50)は06年11月、ゲーム会社ハドソンでの肩書が宣伝部長から「名人」に変わった。「おかげさまで名前を売ってもらったおかげで宣伝はしやすいですよ」。1月にはCD「高橋名人伝説 ―魂の16連射―」もリリース。睡眠4時間と多忙な毎日を過ごす。

 今、40歳前後の世代ならば、著者を含め1つの疑問があるのではないか。高橋名人の名前をどうやって知ったのか―。気が付くと「連射」を武器にゲーム界のみならず、子どもたちに一大ブームを巻き起こしていた。そのきっかけは何だったのだろうか。

 札幌出身の名人は高校卒業後に北海道自動車短大に進学。北24条にあった札幌フードセンターのバイトに熱中し、短大は3カ月で中退した。凝り性の性格から81年、在庫管理のデータ化を決意する。当時28万8000円のパソコンと、29万8000円のフロッピードライブをローンで購入。「ホント嫌になるほど難しかったけど、月末になると、振込用紙が来るんですよ。頑張らないといけないなと奮い立ちました」。
 パソコンの世界に興味を持ち82年、当時、札幌・平岸にあったハドソンに転職した。ゲームのバグ、欠陥を発見および修正から宣伝までこなした。85年、東京・銀座の百貨店で1時間、イベントをすることになった。唯一の宣伝担当だった名人に「何かやれ」と白羽の矢が立った。テレビを置き、発売前のゲームのデモンストレーションをやることになった。

 当日800人の子供を前にしたデモの最中、困ったことが起こった。発売前のため、クリアするとパスワードの入力が必要な画面が出てきてしまうのだ。「(入力法が)見られるとまずいので、背中でコントローラーを隠し、入力したんです」。その姿を子どもたちは「見ないで操作している」とざわめき、曲芸と勘違いした。イベントが終わると100人がサインを求め並んでいた。1カ月後には本名の高橋利幸から「高橋名人」に、さらにその2カ月後には全国60個所のキャラバンに出発していた。

 86年には映画にも主演、自伝が漫画にもなった。社会現象にまでなった時代から四半世紀を過ぎた現在でも現役だ。仕事柄、漫画雑誌を含めた雑誌だけでも1カ月に50冊以上は目を通す。好きな映画のDVDを見ながら、本を読むこともできる。まさにゲームで鍛えた「マルチタスク」ぶりだ。代名詞となったゲームでの早撃ち16連射こそできないが、今でも13連射は可能だ。高橋さんは言う。「楽しまないと匠(たくみ)にはなれないと思う。名人に引退はないですよ」。人にそしてゲームに歴史ありだ。【上野耕太郎】

 ◆高橋名人(たかはし・めいじん)本名・高橋利幸。札幌市生まれ。82年にハドソンに入社。ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押すという「16連射」を駆使して、ゲームソフト「チャンピオンシップロードランナー」を日本で初めて全面クリアした。86年には毛利名人との対決を描いた映画「GAME KING 高橋名人 VS 毛利名人 激突!大決戦」に主演。ゲームソフト「高橋名人の冒険島」の主人公キャラに、伝記「高橋名人物語」が月刊コロコロコミックに掲載された。趣味はオートバイと映画鑑賞でレーザーディスクは800枚、DVDは500枚以上保有する。独身。



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