Updated: 2010/04/08

連載(15)「気球少年」の飽くなき情熱/八戸耀生さん

By 北海道日刊スポーツ新聞社

連載(15)「気球少年」の飽くなき情熱/八戸耀生さん


情熱を持つことはたやすい。ただし、それを保ち続けることは至難の業だ。札幌市在住の八戸耀生(あきお)さん(49)は「気球」への情熱を抱き続けた。「気球は奥が深いですね。98%じゃダメ。だって100回飛んだら2回失敗するってことですよね。100回飛べば100回成功しなければいけないんです」。現在は9つの気球を駆使し世界各地で空撮。「ダウンロードフォト」という会社を立ち上げた。9月には1906年から開催されている世界で最も権威のあるガス気球レース「ゴードンベネット」に初挑戦する。まさに気球とともに人生を歩んでいる。

 寝ても覚めても気球で頭がいっぱいだった。中2のころだった。スキー授業で骨折し、2カ月間ベッドで寝たきりになった。ある雑誌のグラビアに熱気球の写真が掲載されていた。「自分もこれで空を飛びたい」。小学校時代は児童書「ニルスのふしぎな旅」に熱中した。ガチョウに乗ってニルスが旅立つシーンに興奮した。足が治ると「気球少年」は信じられない行動に出た。

 気球を作ることを決意した。上士幌町での大会に行き、大人たちに聞きまくった。大手繊維メーカー数社の札幌支社に3カ月以上、通い詰めた。根負けした支社長から生地を格安で提供してもらった。ゴンドラは近くの鉄工所に毎日通った。「ゴミならいいぞ」と鉄を譲り受け、教えてもらいながら溶接した。ある日、ゴミの中に新品で溶接しやすく切ったパイプが置かれていた。鉄工所の無口な親方の粋な計らいだった。謝礼を出そうとすると「ゴミだから受け取らない」と言われた。うれしかった。

 「今なら、会社に通い詰めたら家か学校に電話が行って終わりですよね。鉄工所のおやじさんも無口でしたが、やさしいひとでした」。ただし、進学した高校では問題児扱いだった。「子供に気球なんか作れるわけがない」と教師に言われ続けた。意地になった。協力してくれた人たちへの恩にも報いたかった。提供してもらった布をクラスメート28人が600枚に裁断、そして縫い合わせた。卒業後の4月、4年がかりで作製した気球で空を飛んだ。最初の飛行は危険きわまりない内容だった。それでも技術を磨き、今でも空を飛び続けている。

 今も年に1度、日本アルプスを横断する。タイなど海外での大会にも出場するなど現役だ。4年前にはモンゴルで着地の練習を続けた。技術面でも満足することはない。「ニルスのふしぎな旅」をイメージさせる写真は世界でも好評だ。これほどまで長い間、好きなことに夢中になれる。「ぼくにとっては、気球しかないんですよね」。苦笑いする笑顔は、幸せそのものだった。【上野耕太郎】

 ◆八戸耀生(はちのへ・あきお)1960年(昭35)7月9日、札幌市生まれ。札幌手稲高時代に気球作りに熱中。北海道電子計算機専門学校に入学し、その4月に初飛行。その後も83年3月に日本で初めて気球で100`を飛行(上士幌―別海間)。海外でもその高い技術は有名で、スタイルから神風を略し「KK」と呼ばれている。07年から3年続けて日本アルプス越えに成功。空撮だけでなく、知床で野生動物の撮影も得意。家族は妻と1女2男。

 ◆ダウンロードフォト 八戸さんらが撮影した写真をデータベース化、販売しているのが同社だ。広告素材などとして使用するためダウンロードサイトを運営している。北海道だけではなく、全国、全世界の空撮写真などほかにはない素材が数多く格納されている。住所は札幌市南区中ノ沢5の2の26。問い合わせ先は 電話 011・826・6277。
http://www.downloadphoto.jp/index.html

連載(15)「気球少年」の飽くなき情熱/八戸耀生さん


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