Updated: 2010/01/07

連載(2)ものづくりへの「愛は勝つ」/元音楽ディレクター、多田勉さん

By 北海道日刊スポーツ新聞社

1日付からスタートした、北海道の再発見を目的とした連載「ノース・スタイル」。第2回はKAN(47)の大ヒット曲「愛は勝つ」のディレクターを務め、現在はニセコ町でイチゴ畑を経営する多田勉さん(46)が登場。「ものづくり」へのこだわりを語ってもらった。

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連載(2)ものづくりへの「愛は勝つ」/元音楽ディレクター、多田勉さん

今でも多田さんは毎日、ギターを弾く。やっぱり音楽が好きだ

 こだわり続けたからこそ、音楽を捨て、畑で汗を流す人生を選択した。多田さんはニセコ町で季節ごとの「旬」を大切にし、2ヘクタールの畑でイチゴ、ニンジンやジャガイモを栽培している。「高く売るために、わざと(収穫期を)ずらしたりする人もいるが、自分は一番いいときに出荷する」。こだわりは今も昔も変わらない。

 20年前の1990年、26歳のとき転機があった。中学からバンドを始め、拓大卒業後に音楽出版社「日音」に入社。宣伝やディレクターなどを務めていた。同社に所属していた年の近いアーティストがKANだった。

 それまでKANは4枚のアルバムを出していた。業界での評価は高かったが、売れなかった。飲み仲間だったKANの5枚目のアルバムに、多田さんはディレクターとして参加した。

 同アルバムからシングルカットされた「愛は勝つ」は初回プレス3000枚。それがバラエティー番組のテーマ曲に選ばれ、人気に火がついた。「1万枚を越えたいというのが夢だったんですけど。あっという間だったね」。200万枚を超える大ヒットになった。

 音楽ディレクターとしてテレビ番組も担当。午前3時に出社する日もあった。30歳でBMGジャパンに転職。休みなく働いた。新人の発掘、育成に情熱を傾けたがヒット曲は出ない。90年代中盤からは、テレビ局のタイアップがなければヒットしない時代に入った。

 疑問が沸いた。「本当の音楽ファンがいなくなり、何かが崩壊してしまった。音楽ファンを育てる土壌もなくなってしまった。ミュージシャンも歌いたいことがないというか。『自分を信じて頑張ろう』という、だれでも書ける薄っぺらな内容になってしまった」。

 99年3月、35歳で会社を辞めた。「感性でやる仕事は35歳が限界」と踏ん切りをつけた。妻の有已子さん(45)も賛成した。家族4人でニセコに向かい、選んだのは農業だった。「音楽も農業も、何もないところからつくるのは同じ」。北海道にきて家族との触れ合う時間が増えた。それが一番だった。

 今でも毎日、ギターを弾く。「おれは1軍にいてレギュラーにはなれたけど。大記録は…、つくれなかったなぁ」とつぶやいた。都会での仕事をこう振り返る。「仕事なしには人は生きられない。ただ、喜びをあまり分かち合えず、独りよがりの生き方だった。今は買ってくれた人の『おいしい』という言葉がうれしい」。
 
 立場こそ変わったが、多田さんの「ものづくり」への情熱は変わらない。【上野耕太郎】

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連載(2)ものづくりへの「愛は勝つ」/元音楽ディレクター、多田勉さん

多田さんの自宅前には雪また雪。それでも笑顔は絶やさない

 ◆多田勉(ただ・つとむ)1963年(昭和38)9月3日、神奈川・綾瀬市出身。中学時代からレッド・ツェッペリンをコピーするなど、バンド活動をする。拓大に進学と同時に、音楽プロデューサー養成機関「MPI」の第3期生として基礎を学んだ。99年3月に北海道へ移住。現在は「ニセコ町多田農園」を経営。家族は妻と2男。


 ※事務局注:多田さんとの交流についてKANさんはブログで言及しています。https://www.kimurakan.com/column/cbn016.php


ニセコ町でイチゴ農園を経営する多田勉さん

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