Updated: 2010/05/11

連載(20)カリスマを継ぐ男/日本清酒杜氏・佐藤和幸さん

By 北海道日刊スポーツ新聞社

連載(20)カリスマを継ぐ男/日本清酒杜氏・佐藤和幸さん


 その語り口はソフトで、職人というより大学教授のような印象だ。佐藤和幸さん(57)は1872年(明5)から札幌で続く老舗、日本清酒の5代目杜氏(とうじ)を務める。昨年は「タイ米騒動」に揺れた93年以来の冷害により道産米は不作。それだけに11月から3月まで続く仕込みの時期は例年以上に気を配った。その難しさを「私たちは『生き物』を扱っていますからね」と表現した。

 杜氏―。日本酒を醸造する職人たちの監督者であり、酒蔵の最高責任者だ。「千歳鶴」ブランドの顔でもある。昔を振り返ると意外な言葉を漏らした。「毎年、毎年、会社を辞めようと思いました」。羽幌町出身、帯広畜産大へ進学した。研究者、公務員などの進路を考えたが、手仕事がしたかった。帯広ということで菓子職人を志望したが大卒は採用していないと断られた。その中で技術系として日本清酒に入社した。

 職人の世界が待っていた。当時60人いた蔵人の頂点に立っていたのが「現代の名工」にも選ばれた4代目杜氏、津村弥(わたる)さんだった。カリスマにしごかれた。「玄関は顔、トイレは心」という津村氏のもとで早朝6時から1時間半、事務所内を掃除。2人での掃除は佐藤さんが40歳を過ぎても続いたという。仕込み時期の4カ月間は休みはない。「子供が生まれてからも、1度もスキーに行ったことがないですね」。4代目は「日中の仕事が雑に、そしてクセになる」と残業を嫌った。そのため出勤はより早朝になっていった。

 卒業後の数年間、大学の同期と飲むと痛感した。「自分は何でこんなことをやっているのだろう」。役人になった同期生が飛躍していくのを恨めしくも思った。その気持ちが1年に1度、酒を造るごろに消えていった。00年に杜氏に就任。「いつの年の酒は素晴らしかったといっても比較できないですし。人間の嗜好(しこう)は変わるものです。同じように見えても伝統は同じことを続けていているだけでは守れない」。言葉が重い。

 ワイン、焼酎ブームと続き、日本酒は厳しい商戦を強いられている。「『国酒』が大苦戦している。日本酒だけではなく、フランスではワイン、英国ではウイスキーの売り上げが悪い。古くさい感じがするのかもしれない」と分析する。不況、そして時代は進み、浴びるほど飲むということも少なくなった。今後は「何杯でもというのではなく、コップ1杯でも満足できるお酒が必要になってくる」と佐藤さんは言う。理想を追求するために、その道をより深く歩んでいく。【上野耕太郎】

 ◆佐藤和幸(さとう・かずゆき)1952年(昭27)8月5日、羽幌町生まれ。76年に日本清酒に入社、79年に国税局醸造試験場研修員に。80年札幌工場に戻り、00年に杜氏、翌年に札幌酒造工場長に就任する。04年に同社取締役に就任、同年の全国新酒鑑評会では酒造米「吟風」を使った酒を出品し、道産米では初の金賞を受賞した。家族は妻と長女。

 ◆日本清酒 1872年(明5)に創業した「柴田酒造店」が前身。1897年(明30)柴田酒造店を中心に6社が合併し「札幌酒造合名会社」を設立。1924年(大13)に「札幌酒造株式会社」、その4年後には「日本清酒株式会社」となり「千歳鶴」を発表。札幌市中央区の本社内に酒蔵、余市町黒川町に「余市ワイン工場」が、札幌市西区発寒に「寿みそ工場」がある。

 ◆佐藤さんのおいしい日本酒の飲み方講座
 今回は特別に、杜氏からその飲酒方法をレクチャーしてもらった。
 「メーカーの人間がこう言うのもなんですが、買ってすぐに飲まないで、少し置いたほうがいいんです。出荷する過程の振動などでお酒が落ち着いていませんからね。すぐ飲みたいと方は出荷して1カ月から2カ月のものを選ぶ。あと、飲んでみて『若いな』『荒いな』と思ったら1度ふたを閉めて冷蔵庫で1週間保存する。再び開けるとガラッと雰囲気が変わっています。自分の好みに合わせてチューニングできるのも日本酒の特長であり、魅力なんですよ」。

2007年「日刊スポーツお酒特集」 http://www.nikkansports.com/special/sake/2007/chitoseturu.html

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