Updated: 2010/05/25

連載(22)網走から頂点を目指す/東農大生産学部ホッケー部青山秀隆監督

By 北海道日刊スポーツ新聞社

連載(22)網走から頂点を目指す/東農大生産学部ホッケー部青山秀隆監督


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連載(22)網走から頂点を目指す/東農大生産学部ホッケー部青山秀隆監督

北海道で圧倒的な強さを誇る東農大生産学部ホッケー部

  網走で無類の強さを誇るチームを作り上げた男がいる。東農大生産学部ホッケー部の青山秀隆監督(49)だ。髪を短く刈り上げ、ぜい肉ひとつない体、ストイックな外見から発する言葉は謙虚だ。「北海道はホッケー王国だったんです。先輩には素晴らしい選手を輩出しています」「網走の人に支えられています」。感謝を忘れないからこそ、孤独な戦いに挑むことができたのかもしれない。

 5月22日に行われた北海道春季大会(リーグ戦)で3戦全勝、無失点で8年連続18度目の優勝を飾った。道内ではこの春季大会とインカレに続く北海道ホッケー選手権(秋季リーグ戦)があり、秋季は20年連続優勝。89年の創部以来、両リーグ戦で4敗しかしていない。他チームはすべて札幌で、練習試合も組めない。「モチベーションを保ち続けることが最も難しいかもしれませんね」と語る。

 北海高を卒業後、東農大2年時に日本代表入りした。ホッケーを始めて5年での快挙だ。もともとはアイスホッケーの選手。「とにかく、ホッケーは陸上部なのかと思うくらい走りました」と振り返った。大学卒業後に仕事との両立が難しく引退。25歳に結婚し大手運送会社に勤めるサラリーマンに転機が訪れた。

 東農大生産学部が網走に創設されることが決まり、ホッケー部監督にとの誘いがあった。迷いはなかった。89年4月、大学職員として働きながら、ホッケー部を指導。部員7人、そのうち経験者は2人。監督自らGKとなり体を張った。部では深夜のホタテ漁やビート栽培のアルバイトで遠征費を捻出(ねんしゅつ)した。「苦しいなと思う時期もありました。体は動かなくなってきましたが、その分頭をカバーできるようになったかもしれません」と話す。

 情熱が人を引きつける。韓国代表としてアトランタ五輪出場の経験もある李永晃(イ・ヨンファン)コーチ(37)を06年に招聘(しょうへい)した。「青山監督は自分の信念を折らない人。そこがなかったらここまで上ることはなかっただろう」と李コーチ。天理高時代にインターハイ準優勝などの実績を誇る仲裕太主将(4年)は「北海道に来て、まだまだ自分のホッケーは甘いと思った」と話した。

 北海道のホッケーの歴史は1926年(昭元)からと古い。48年の全日本選手権で全北海道が準優勝を飾っている。「全国で戦えるチームをつくりたい」。そして青山監督以来30年、輩出していない道産子の日本代表入りを目指している。【上野耕太郎】

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連載(22)網走から頂点を目指す/東農大生産学部ホッケー部青山秀隆監督

東農大生産学部ホッケー部の青山秀隆監督(左)と李永晃コーチ

 ◆青山秀隆(あおやま・ひでたか)1960年(昭35)7月19日、札幌市生まれ。札幌豊平小時代からアイスホッケーを始めGKを務める。北海高入学時にホッケー部に所属。2年時にはホッケー、アイスホッケーの両種目でインターハイに出場。東農大に進学後、20歳で日本代表入り。82年のアジア大会にも出場した。89年4月から東農大生産学部のホッケー部監督に就任。家族は妻。

 ◆東農大生産学部ホッケー部 1989年(平元)4月に創部。正式名称は「東農大生産学部 農友会オホーツク支部ホッケー部」。現在部員は22人。北海道学生ホッケー春季大会は90年から21大会に参加し、優勝18回。北海道学生ホッケー選手権(秋季リーグ)は20回すべてで優勝。インカレは全国ベスト8(過去12回)が最高。92年には網走市スポーツ賞を受賞。

 青山監督の北海道特選
 ▽食べ物 網走の「龍寿し」は、本当においしいと思います。
 ▽温泉 結構、温泉が好きで良く行きます。女満別の「山水」、美幌の「後楽園」は泉質がいいんじゃないかと思っています。

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