Updated: 2010/01/14

連載(3)みんな生涯現役!お好み焼きの「伝道師」/風月社長・二神敏郎さん

By 北海道日刊スポーツ新聞社

北海道にお好み焼きを「伝えた」男は謙虚だった。お好み焼き店「風月」の社長を務める二神敏郎さん(66)は、この道に入って2月で44年目を迎える。長続きの理由を聞かれ、恥ずかしそうに答えた。「不器用やったからです」。

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連載(3)みんな生涯現役!お好み焼きの「伝道師」/風月社長・二神敏郎さん

今でもカウンターに立つ風月の二神敏郎社長

 北海道では「お好み焼き=風月」という印象が強く、全国チェーンと勘違いしている人もいるのではないだろうか。札幌に1号店が誕生したのは67年2月11日のことだ。「金持ちになりたかった。クラークさんの『少年よ、大志を抱け』という土地で人生を変えたかった」。大阪出身の23歳は、札幌市中央区の札幌静修高前にお好み焼き店を構えた。広さは3坪。5〜6人が座ればいっぱいだった。

 生活は苦しかった。父方は卸問屋、母方の実家は薬問屋を営んでいた。裕福な生活も第2次世界大戦の空襲によってすべてを失った。中学を卒業をしてから働いた。自衛官だった19歳の時、北海道に来た。当時はお好み焼き店どころか、ファストフードもコンビニエンスストアもなかった。「北海道にはお好み焼きがなかった。これなら何とかなるかもしれない」。立ち仕事して寝るだけ。名刺も手帳も持たない。定休日も閉店時間もなかった。仕入れをする金が集まるまで働いた。

 76年、ようやく軌道に乗ってきた。お客は札幌静修、札幌南高などの学生が中心だった。お礼がしたかった。徳島県の「学(がく)駅」の入場券を大量に購入。おまけにした「合格焼き」を合格に縁があるように505円で売り出した。口コミで広がった。「喜んでいただきたいという気持ちだけでした」と口にした。

 自分のことを「経営者」ではなく「商人」と言い切る。「自然が多く、目に優しい」と北海道を愛する男は道民気質をこう話す。「大阪では『儲かってまっか』と聞きます。北海道の人はそんな時、正直に『あきまへん』と言ってしまう。聞いた方と慰め合ってしまう。それではいけないかなと。妬まれず、倒産するとも言われないために『ぼちぼち』と言っておけばいい。もう少し、貪欲(どんよく)さがあっていいのでは」。

 この2年、不況の影響も直撃した。それでも多くの人に働いてもらうため「定年制」はない。75歳の従業員もいる。二神さんも66歳の今でもカウンターに立つ。このポリシーは譲れない。「商いのヒントは現場にあります」。15歳から働いて50年が過ぎた。白衣を着て、笑顔で鉄板に向かう日々は続く。【上野耕太郎】

 ◆二神敏郎(ふたがみ・としろう)1943年(昭和18)10月10日、大阪市生まれ。大阪から愛媛県松山市に疎開。小6の時に再び大阪へ。中学を卒業後、化粧品会社に勤めながら大阪東商高夜間部に通った。卒業後、自衛隊に入隊し、67年1月に除隊。お好み焼き店の風月を開店させ、現在は札幌18店舗、旭川、苫小牧、千歳に各1店舗を展開する。天然温泉の「笑福の湯」「岩盤浴 癒(ゆ)」も経営。

 ◆プレゼント 風月の食事券1000円分と「笑福の湯」(札幌市西区西野4の4)の入浴券を各30人に。応募方法ははがきに郵便番号、住所、氏名、年齢、職業、電話番号、Eメールアドレスを明記の上、〒060・8521 北海道日刊スポーツ新聞社「風月プレゼント」係まで。1月31日必着。
 ※食事券は前田店、麻生店では使用できません。


風月・二神社長のおいしいお好み焼きの作り方

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